建築を楽しく語り合う会
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坂倉準三・前川国男・丹下健三・白井晟一
この10月2日の楽語会の内容は、なかなか深かった。「現代を考えるために少し遡ってみようか」といった、かなり漠然として作業イメージで始めて、途中に、有名建築家が設計したものではあってもテーマ性・メッセージ性の希薄な建築にまで対象を広げすぎて方向を見失う時期もあったが、次第に時代・社会がかかえる問題とそれに対峙する建築(家)との関係が捉えられるようになって、建築のもつ価値とか意味と同時に、その建築が対峙した時代や社会の問題も議論できるようになってきた。■8月と9月の夏休みを利用して、東京・鎌倉・羽島(羽島市庁舎、1959)・岐阜(岐阜市民会館、1967)・芦屋(ルナホール、1969)と次第にブルータルな調子と都市性を帯びる坂倉準三、東京・横浜から京都へと、坂倉とは違う意味での都市性(都市との関係)とある種の伝統性・場所性の掘り起こしを感じさせる前川国男、広島・高松・倉敷・甲府と、今日見直してみるとやはり一段と高いところで日本の近代建築を考えていたように思われるが、最後は山梨文化会館(1967)に進んでしまう(この「建築とアーバニズムとの関係性」の問題は、坂倉にもっと深刻に現れる)丹下健三、そして、すでに東京近辺から東北地方まで辿った後、南に向かって佐世保まで行かねばならない白井晟一と、楽語会メンバーの足跡は大きく広がった。1回の会では語り尽くせないほどに沢山の発見をし、同時に「建築(家)と時代・社会との関係」という一つの大きなテーマを意識するようにもなったようだ。■私は、ル・コルビュジエのチャンディガール計画が坂倉に、そして丹下に大きく影響していることを、メンバーとの議論で改めて感じた(でも、コル後期の作品は、はるかに自由で軽やかだ)。建築に動線が大きく組み込まれ、(古典的な)建築の輪郭とか構えを失ったブルータルなコンクリートの塊が人や物を留め、あるいは円滑に流すために必要な都市的形態(urban form)を帯びてゆくのである。一方でまた、この時代の流れに強く抵抗して、前川、もっと激しく白井、の設計活動が展開する。■では、次の世代は?その次の世代は?(川向正人)
親和銀行 コンピュータ棟/1975
建築の物質的な価値に傾倒した建物であると感じた。今回は親和銀行の管理部の方に第一期の建物から順を追ってみせて頂いたのだが一貫してディテールへの追求を感じる。白井晟一は光と影のテーマのもとに建築の物質としての存在を際立たせていっている様に思える。トラバーチンとコンクリートの掛け落としを併用することで光を反射、吸収させ、その両方がそろって全体としての物質感に気づく。表面は諫早の砂岩で覆い尽くされ(今の外観はガラスコーティングが施され少し変色しているがオリジナルはかなり白い)、その分厚い壁厚を通して眺める景色は建築の存在をそこに焼き付ける。エントランスのガラス面は下まではまっておらず、水を流し込むことで外気を遮断し、自然との調和をはかる中で建築の存在を等価に扱った点には驚いた。そして1955年の原爆堂計画の構想が役員用エントランスに実現されている話も面白かった。

白井晟一にとってのディテールは建築の物質的な存在感を際立たせる業なのだと感じた。
倉敷市庁舎議場/1960
議場とその他の空間で大きく空気感の異なる建築だと感じた。丹下健三はこの倉敷の2年前に香川県庁舎を作り上げている。香川県庁舎の外観がどこか日本的で水平性の強いボリュームが層状に重なって出来ている様に見えるのに対してこれは1つのボリュームを感じた。エントランスの空間は建物の中でもかなりの量を占めており、明るく開放的であるのに対し、議場はロンシャンを想起せずにはいられない様な造形的な造りをしており、少し温度が高めの空気感である。それだけ丹下健三に取って、コアである議場の存在が市庁舎を考えたときに重要な部分であったのだろうと感じた。
広島平和記念館(1952)
こんなに明るいピロティーは初めてだ。想像で思い描いていた明るさとのギャップにショックを覚えた。
とんでもない過去の記憶が詰まった「箱」を、「柱(ピロティ)」が背負っている。しかし、驚いたことにその柱の足元は決して暗くはない。過去の記憶をただ悲観的に表現するのではなく、未来に向けた平和への希望を表現している。

このピロティーの下で平和をうたっている人が何人かいた。こうして50年たった現在も思いが受け継がれていた。原爆ドームをはじめとした広島の建築物が単なる観光の道具として落ち着くのではなく、本当の意味で人に歴史を振り返らせたとき、そこに建築としての価値があるのだと思う。

今回は建築自体よりも原爆という歴史そのものについて考える機会だった。
正直自分の中で完全に消化しきれていない。再度いって確かめたい。
坂出人工土地・瀬戸内海歴史民俗資料館・直島ベネッセ
8月14、15日と、香川県坂出市にある「坂出人工土地」、坂出と高松との間にある「瀬戸内海歴史民俗資料館」を訪れ、(15日には1日かけて)直島の地中美術館・ベネッセハウス・家プロジェクトを見て回りました。すでに研究室のHPのBBSにも書きましたが、建築楽語会での議論に資するところが大きいと思われるので、こちらにも掲載しておきます。遠方にあって見学する機会が少なく議論の対象外に置かれ易いが、建築と都市・環境との関係を考える際に重要なものばかりです。それぞれに時代を画する事業と評せるでしょう。■坂出人工土地は、当時の市長の言葉を借りれば「わが国で最初に人工地盤を設けた住宅団地」で、コンクリートの人工地盤(1ha)をつくることによって「都市空間を生み出しその空間を効率的に最大限に活用する」「自然の土地を立体的に利用する」ものです。当時は木造家屋が立ち並んでいた市街地にコンクリートでがっちりした四角い地盤がつくられ、そのうえに住宅団地が建設されました(住宅143戸、集会所、子どもの遊び場、緑地)。地上の、街路に面するところは商店街とし、一部に市民ホールが入り、それ以外は駐車場に使われています。地上を自動車に、空中のコンクリート・デッキの上に歩行者のエリアを配置するという、そう、スミッソン夫妻の思想・手法の発展形が、ここに実現しているのです。JR柏駅前のペデストリアン・デッキなども同じ系譜に属するものです。「坂出人工土地」の設計者は、メタボリズム・グループの一員、大高正人。その第一期は1966年に着工して、2年弱で竣工します。現在訪れてみると、もはや木造家屋の甍の波は周囲からも消えてコンクリートビルが林立し、この人工地盤のコンクリートの白さも目立たなくなっています。JRや高速道路の高架の下に見られる駐車場にも似て、特段奇異にも感じません。むしろ、周囲の雑然とした開発に比べれば、たしかに「有機的な都市空間」があるようにすら感じます。何度も頓挫しかけながらも計画は実行されて、1980年頃まで(第4期)事業は進められました。「人工地盤」、戦後に夢として現れたこの思想と手法を、再検討する時期に来ています。■瀬戸内海を一望できる五色台山上にある瀬戸内海歴史民俗資料館は、坂出人工土地とは全く対照的に、自然の大地に抱かれ深く根を下ろしたような建築です。1973年に開館、75年に日本建築学会賞を受けたもので、設計者は当時香川県営繕課職員であった山本忠司。山本のような人物が育ってくる背景には、香川県庁舎などで腕をふるった丹下健三と、彼を全面支持した金子知事の存在があります。このあたりの香川県の建築風土が興味深い。生前の山本には私も何度かお話をうかがったことがありますが、「地域には地域のよさがあって、長い時間のなかで形成されたものです。建築はそれを土台にして構想されるべきものです」と繰り返しておられました。五色台は岩でできた山で、工事で出てくる石を外壁に貼って、この建築は一見砦のように見えます。展示室はいくつかに分けられて、建築全体が地形の傾斜に合わせてレイアウトされています。地形と深い自然に溶け込む建築設計は、ここが瀬戸内海国立公園(日本で最初の国立公園の一つ)の景勝の地にあることとも深く関係しているのでしょう。瀬戸内海は海の民俗資料の宝庫ですから、展示の充実度にも驚かされます。環境に融合する建築という考え方を最初期に具体化した名作です。■直島は、お盆の時期でもありましたので、帰省した友人同士で訪れているのでしょうか、若者のグループも多く、まさに老若男女でにぎわっていました。私は高松からフェリーで宮浦港に着きましたが、岡山県側から訪れた人もたくさんいました。地中美術館では白い作務衣(のようなユニフォーム)を着た若いスタッフに一列に並ぶように指示されて、靴を脱いで入る二つの展示室では、ともに20分ほど待ちました。「はい、ここまでのグループ、先に進んでください」「はい、どうぞ、ごらんください」と。ベネッセハウスはゆっくり観賞できました。ここから見える周囲の環境がすごくきれいで、人々は、アート作品とか建築よりもこの環境に身を置きたいのではないでしょうか。「環境づくり、まちづくりは引き算だ」と思いました。不要のものをどんどん引き算すると、見えてくるものがある。建築・アート作品が直接、自然と対話するようになります。家プロジェクトも成功しています。アートによるまちづくりが、具体的に生活環境を整え、運動が一過的ではなく定着している点がすばらしい。これも、まちづくりの一つの手法。その成功度を、てくてく歩いて確かめました。■帰りの夕暮れ時、瀬戸内の風景のすばらしさに、フェリーの甲板上で黙して語れず、でした。山々が何重にも重なり、後ろほどだんだん高く天に近づいて、遠ざかるにつれて緑から青くなり、白くなり、そして消えてゆくのです。(川向)