今回は、住宅を3つ見ているが、その年代の散らばりが面白い。1920年代と40年代と70年。いつものように、1作品に付き1枚の写真を持ち寄って議論した。いいなあと思ったのは、誰もが外観ではなくて内部の写真を持ってきたことだ。その結果、3つの住宅の、あるいは堀口と前川と吉村との、相互の差異が非常によく分かった。まず、空間の広がりの方向性から言えば、堀口さんと吉村さんは水平性、その間の年代にあたる前川さんは垂直性だ。この違いが決定的だ。堀口さんの小出邸は和(室)と洋(室)の並存で、両者を統合する秩序として正方形を主とする幾何学形態が使われている。多様性とそれを統合するものとしての幾何学という関係が、すでにここにある。伊東豊雄さんなんかと同じ着眼点だ。その和と洋が融合された玄関とそれに続く廊下が、天井面や両サイドの壁・ドア面に微妙な凹凸があって全体として「空間」を感じさせる。この空間的揺れは、前川を飛び越えて吉村に近いものだろう。この住宅のもう一つの見所だ。そして、洋室が大壁になっている点にも注目したい。前川自邸で獲得された天井の高いホール的空間を見下ろす視点は、坂倉の飯箸邸にも通じる。少なくとも寝殿造から書院造へと変化する日本の貴族・武家という上層階級の住宅にはなかったものだ。室内から庭へと水平に伸びるのとは、全く異質な視線がある。もし日本国内に先行例を求めるならば、やはり民家だろう。この前川自邸の骨太さが西洋的であると同時に土俗的、民家的であることとも符合する。吉村さんの脇田邸は、天井が抑えられ、開口が限定的に開けられて、すごく身体的で洞窟的な空間の集合体であることが、アドルフ・ロースの住宅を連想させる。ラウム・プランだ。そんなラウムが洞窟的に、迷宮的に連鎖している。70年前後の日本建築に共通する傾向で、1枚の写真で年代が分かる。そのラウムの気分が小出邸にもすでに感じられることをメンバーの写真がうまく示していたのには感心した。川向正人
緩やかに流れる屋根はこの建物の全体を形成する大きなルールである。
しかし柱や暖炉など各部屋に当てられる部材はそのルールから逸脱することで、一見無秩序な調和を生み出し、この建築が持つ不確定で素朴な優しさを作り上げている。
それは決して全体と部位とが作り上げる完全な住宅ではなく、人間の活動を内にも外にも包み込む有機体のように感じた。
しかし柱や暖炉など各部屋に当てられる部材はそのルールから逸脱することで、一見無秩序な調和を生み出し、この建築が持つ不確定で素朴な優しさを作り上げている。
それは決して全体と部位とが作り上げる完全な住宅ではなく、人間の活動を内にも外にも包み込む有機体のように感じた。
2/1建築楽語会のテーマ
“外とのつながり”
建築における外とのつながりとは何か。開口を通して、時間の変化を感じたり、風が気持ちよく入ってくることか。
今まで公共建築を多く見てきたが、今回は脇田邸が公開されることをきっかけに住宅に視点をあてた。必ずしも今の私達が良いと感じる建築であったかはわからないが、論点は多くあると思う。
また、今回の建築は年代がばらばらなので、無理にまとめようとは思っていなく、ひとつひとつに焦点をあて話し合っていきたい。
小出邸1925 堀口捨巳1895−1984
前川邸 1942 前川國男 1905−1986
脇田邸1970 吉村順三 1908−1997
(飯箸邸 1941 坂倉準三 1904−1969)
脇田邸は外と一体にあるような、むしろ建築を外に馴染ませているように感じた。
対して、前川邸、小出邸は内部から見る外を意識している。前川邸は開放感を出している大窓が南北についている。空気の流れというのは、実際に窓が閉じていて風がなくても光や窓の外の景色で感じられるのではないかと思った。
“外とのつながり”
建築における外とのつながりとは何か。開口を通して、時間の変化を感じたり、風が気持ちよく入ってくることか。
今まで公共建築を多く見てきたが、今回は脇田邸が公開されることをきっかけに住宅に視点をあてた。必ずしも今の私達が良いと感じる建築であったかはわからないが、論点は多くあると思う。
また、今回の建築は年代がばらばらなので、無理にまとめようとは思っていなく、ひとつひとつに焦点をあて話し合っていきたい。
小出邸1925 堀口捨巳1895−1984
前川邸 1942 前川國男 1905−1986
脇田邸1970 吉村順三 1908−1997
(飯箸邸 1941 坂倉準三 1904−1969)
脇田邸は外と一体にあるような、むしろ建築を外に馴染ませているように感じた。
対して、前川邸、小出邸は内部から見る外を意識している。前川邸は開放感を出している大窓が南北についている。空気の流れというのは、実際に窓が閉じていて風がなくても光や窓の外の景色で感じられるのではないかと思った。
1階RC、2階木と異なるディテールを持つため地面から浮いているように見える。
入ってみると思っていたより小ささを感じるが、座ると視線が伸びて丁度良い広さになった。水の流れに身をまかせたときのような心地良さがある。各室で庭を囲むように折り曲がっていく構成は部屋の相互関係を生み、ここでも流れを感じさせる。大体どこからでも眺めが良く、シーンを多く持っている。
入ってみると思っていたより小ささを感じるが、座ると視線が伸びて丁度良い広さになった。水の流れに身をまかせたときのような心地良さがある。各室で庭を囲むように折り曲がっていく構成は部屋の相互関係を生み、ここでも流れを感じさせる。大体どこからでも眺めが良く、シーンを多く持っている。
脇田邸は、前川邸、小出邸と比較して、印象に残った空間を写真一枚で語ることが一番難しい。その原因は振られた角度によりうまく焦点がひとつに定まらないことにある。決して複雑な空間ではない。
もう少しわかりやすく言えば、前川邸の外観は正面が非常にはっきりしているため写真一枚で全体をつかみやすい。一方脇田邸は正面性がはっきりしない。このためどのアングルから写真を撮ることがもっとも全体を語れるのか、つかみにくいということだ。
脇田邸の室内は居間やアトリエといった分けるべき諸室を、庭をなぞるように角度を振りながらひとつながりに配置することで、機能的には異なる諸室が分かれていながらも一連の体験として感じられる。ここである部屋の全体を撮ろうとすると常に次の部屋が角度を振って繋がっているところが見える。そのため、焦点がなかなか定まらないのである。
もう少しわかりやすく言えば、前川邸の外観は正面が非常にはっきりしているため写真一枚で全体をつかみやすい。一方脇田邸は正面性がはっきりしない。このためどのアングルから写真を撮ることがもっとも全体を語れるのか、つかみにくいということだ。
脇田邸の室内は居間やアトリエといった分けるべき諸室を、庭をなぞるように角度を振りながらひとつながりに配置することで、機能的には異なる諸室が分かれていながらも一連の体験として感じられる。ここである部屋の全体を撮ろうとすると常に次の部屋が角度を振って繋がっているところが見える。そのため、焦点がなかなか定まらないのである。

